第28巻 第2号
通巻 第1426号

昭和57年4月30日発行

目次

特別講演

祭祀の医療思想
宗田一

京都の医学の源流
山田重正

会長講演

江戸時代の京都における医の倫理の史的考察
守屋正

一般口演

安芸守定と安芸家(北小路家)について
北小路博央

日葡辞典から見た安土桃山時代の医学 ― 医療用具
亀節子、大槻彰、前川久太郎

向井元升の家系について
中西啓

誰が山脇東洋に苛私林牛私「解体原書」を贈ったか
川島恂二

いわゆる「ターヘル・アナトミア」と解体新書の比較(その3)
酒井恒

稲村白羽(三伯)の「金匱方註」について
中山沃

本居宣長の醫學と國學
高橋正夫

柚木太淳について
中野操

江馬元齢の医学史的漢詩文について
青木一郎

整骨範草稿について
蒲原宏

日本における新生児沐浴の変遷
蔵方宏昌

サレルノ医学前史
小沢吉見

フランスにおける最初の医学新聞を発行したニコラ・ド・ブレニーについて
大村敏郎

鼠の自然発生実験の考察―実験中の事故は史論の対象ではない―
安江政一

F・グリソンの非刺激性学説とその影響
栗本宗治

医史学からみた医化学から生化学への発展とその未来像
柴田幸雄

ディオスクリデス・「ウィーン写本」
大槻真一郎

英国外交文書中の医師W・ウィリスの足跡(主にP・R・OのF・O46による)(1)
原口忠男

Monteverde 作 Edward Jennerの大理石像
加藤四郎

中国における「医は仁術」の起源
山本徳子

中国医学と道教(その2 太平経について)
吉元昭治

中国古代医学における陰陽について
家本誠一

日本の原始時代における医療と王権
奥富敬之

“延喜式巻第37典薬寮"解釈の一試み
MACE美枝子

「虜瘡」は麻疹
三井駿一

嵆康『養生論』の一考察
丸山敏秋

日本における初期の小児科領域についての一考察
安達原曄子

正親町天皇の半井氏に『医心方』を下賜された理由について
高島文一

『医心方』の伝写について(Ⅱ)
杉立義一

徳島時代の関寛斎(続報)その医学的業績について
福島義一

本邦放射線事始に尽した人びと
今市正義

医会設立当時の静岡県医師人名簿
土屋重朗

J・C・ベリーと柴原宗助
金澤豊治

「幼きイエズス修道会」京都支部における看護婦養成事業について(明治25~37年)
坂本玄子、高橋政子、名原寿子、広瀬房子、山根信子

「特命全権大使米欧回覧実記」における米欧の労働衛生事情
乾修然

岡谷蚕糸博物館所蔵資料にみる製糸工女の医療費負担について(第5報 中途退場工女と薬価負担)
清水勝嘉

大正期の諏訪地方における製糸工場の労働環境について
清水勝嘉

水銀中毒の歴史
三浦豊彦

京都における梅毒小史
藤垣亀雄

中国伝統医学修得学生の漢語素養について
小杉順一

北京・中医研究院所蔵の『西陲古方技書残巻彙編』について
森村謙一

漢代の粉末製造法「冶」法について
赤堀昭

有持桂里の墓碑銘および過去帳とその漢方医学について
原桃介

武相の種痘―平塚宿の場合
深瀬泰旦

津藩の種痘
茅原弘

新資料「伊藤圭介関係書翰集」について
谷澤尚一

『慾斎覚書』について
遠藤正治

吉益四峰(今井鉄太郎)の家系について
森納

85年京都産婦人科医界のあゆみ
三木通三、森武史、伴一郎

緒方正清と産婦人科学史
石原力

明治時代の公立医学校廃止の顛末(その1)
西川滇八

いわゆる「ドイツ医学」について
中川米造

成医会講習所設立の頃
大滝紀雄

エルウィン・ベルツと温泉医学
安井広

金沢におけるホルトルマンの外科診療
寺畑喜朔

陸海軍に於ける初期の脚気病対策
佐久間温巳

土肥慶蔵と呉秀三
長門谷洋治

呉秀三先生ヨーロッパ留学中の署名録―オーストリー・ドイツ精神神経学の巨匠たちの筆蹟―
岡田靖雄

京都における歯科医学の先覚者たち
浦田耕作

欽明朝に来日したイラン系の医師王有りょう(忄夌)陀について
伊藤義教、松木明知

誌上発表

中川五郎治の種痘法の研究―新しく発見された五郎治による被接種者―
松木明知

世界最初の麻酔関連死を巡って―トーマス・ハーバートの症例―
松木明知
The 83th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory

記事

第84回日本医史学会総会予告
佐藤尚中先生百年祭開催
日本医史学会会則抄

投稿規定

日本医史学会役員氏名・編集後記・奥付