目次・表紙絵解説
プログラム
会長講演
開拓使時代の医療
特別講演①
蝦夷地とロシア―北辺医史学の背景としての日露関係―
特別講演②
現代ウイルス学よりみたジェンナーの論文と伝記について
一般口演
原始巫医の世界的普遍性の考察
憑きもの再論
岸田吟香が中国で販売した日本関連の古医書
淳于意伝記考
『清医胡兆新問答録』―1804年の中国医への問答報告書について―
中国古代人体内景図に於ける脂●(月+曼)、脂膜について
新発見の馬玄台『難経正義』
谷野一栢著『難経抄』所引医書について
浅田宗伯と黄遵憲
『傷寒論』の「煎・熬」に対する、『方言』による解釈
素問・霊枢に於ける血管及び血管病の記載について
漢代の医療技術について
中国16世紀以前の瀉血療法
中世における瀉血
歯髄の歴史
澁江長伯が蝦夷地で採集した植物標本について
津軽における貞亨、元禄年間のケシ栽培の実態
森枳園宛の書簡類-伊沢柏軒、小島宝素、喜多村直寛・多紀元?・元佶等
蘭門五哲の書幅
北里柴三郎口述中川愛咲編纂「伝染病研究講義」の内容及びインフルエンザ菌の発見について
卵管の発見者、ガブリエーレ・ファロッピオについて
チンチョン伯爵夫人とキナ渡米伝説
『医語類聚』(奥山虎章)とMedical Lexicon (Robley Dunglison)
北陸における法医学の源流
『裁判醫學提綱』にみる「狂」の用語について
吉村喜作博士とバビンスキー徴候
日本プロテスタント・ミッション医療伝道の方針転換についての一考察
釈迦とキリストの患者の治療の実態について
広島原爆救護活動補遺
1721年、ボストンにおける天然痘流行と人痘法の施行
ジェンナーをめぐる2、3の話題
フラカストロの伝染理論
山本致美訳『扶氏診断』と島村鼎甫訳『扶氏診則』
足立長雋の訳書『産科礎』の成立年代
華岡青洲及び春林軒塾に関する岡山県内資料
高岡長崎家の子弟教育について―四代蓬州、五代浩斎を中心に―
デンマークの師・マッセン博士に宛てた野口英世の書簡
児玉信嘉宛野口英世16書簡
高坂駒三郎と旧蔵書簡―森?外書簡など
森?外のライプチッヒにおける衛生学研修
日本消化器病学会発足の頃
初期の皮膚科学における東大と京大
アルブレヒト・フォン・ローレツの「皮膚病論一斑」
永坂石?(周二)の小伝と日本整形外科への功績
明治前期における医師試験制度と奉職履歴医について
1888年の医学校処分について
財団法人・日本医学専門学校の学校騒動と私立東京医学専門学校の独立分離
明治女医史の基礎的研究
明治廿六年医科大学国家医学講習科実録(学生記録)
太田正雄(木下杢太郎)の医学ノートについて
徳川昭武公の『順天堂入院日誌』について(第2報)
中国伝統医学と道教(ⅩⅦ)『三国演義』から
民間急救療法
日本における作業療法の歴史
「看護」という言葉の使用のはじめ(第1報)―看護という言葉はいつから使われるようになったか―
我が国の顕微鏡の由来-和田医学史料館所蔵の顕微鏡の歴史-
赤城信一について(第1報)
札幌黴毒院について
The 97th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory
日本医史学会会則抄
投稿規定
編集後記
日本医史学会役員氏名・奥付