目次・表紙絵解説
プログラム
会長講演
会長講演 身体感の歴史 人は「からだ」をどうみてきたか
特別講演Ⅰ
茶と日本人
特別講演Ⅱ
韓医学の歴史
一般口演
新発見「大同類聚方」に関する大同3年5月3日の詔文
浅田宗伯の自筆稿本類―国会図書館鶚軒本
清医胡桃新の『胡氏方案』について
わが国の近世初期の医療についての一考察 一、古写本 鍼灸秘書
「後法興院記」に表れた丹波親康の事跡について
「言経卿記」中の医療について
神宮医久志本氏とその秘方
異本病草紙に就いて
アヴィセンナ(イブン・シーナ)の「医学典範」(ラテン語訳)における精神医学(第2回)
系統解剖学の起源としてのヴェサリウス解剖
ウイリアム・ハーヴィ『普遍解剖学講義』における心臓の運動の提示
Jan Evangelista Purkyneの生涯と業績
中国伝統医学と道教(第20回)籤
宋以前の傷寒論について―朝鮮古医書「医方類聚」からの考察
田中彌性園蔵傷寒論の考証
『金匱要略』水気病篇の「痂癩」について
検黴制度の導入と英国「伝染病予防法」―国権問題と日本人医師の養成―
中国における梅毒の病名史
華岡青洲の系譜に関する新知見―海南市の柳川家と川端家―
華岡青洲自筆萬病一毒之説
ポンペが松本良順に贈ったジッヘル著『眼病図譜』について
オランダ人医師ファン・デル・ヘーデンと子孫・縁者たち
島村鼎甫とウイリス及びボードウインの『日講紀聞』
『ウイリアム・ウイリス文書』にみるW・ウイリスの医学教育
パリの古い病院
パリ大学旧医学部大円形講堂にある壁画について
大選帝侯時代のベルリン医事、とくにブランデンブルク医事勅令について
英国医史における学と職と―法制的考察
ヨハンニティウス(フナイン・イブン・イスハク)の「ガレノスの小治療学入門」におけるnon-naturalsの概念
九州における医史学研究の系譜(1)岩熊哲の業績とその医史学観について
飯島魁と近代寄生虫学の系譜
郡医と?外の父、森静男について
九州における近代整形外科学の祖、住田正雄の生涯
済生学舎の顕微鏡科実地演習―特に原玄一郎のペスト菌標本について―
行われなかった正月儀礼
日本における養生論の引用書目の変遷
初代山脇道作と門人達の伝記に関する新資料
三位法眼糟尾家と録事法眼智玄
『阿蘭陀外科指南』の背景について
テリアカの再検討
レイディ・メアリの息子が人痘接種を受けた日付と場所について
"プレンク(J.J.E.von Plenck,1739-1807)について"
ルイの「肺炎に対する瀉血の効果」について
明治、大正期の埋葬許可証にみる病と死亡年齢
陸軍における航空医学の夜明け
昭和初期、2私立医専の創始について―大阪高等医専、大阪女史高等医専―
九華筆「扁鵲倉公列伝」について
『看病用心釥』成立の社会的背景
江戸期本草家の北陸への関心(3)―野呂元丈の越中国での足跡―
幕末期、院内銀山の医療と近郷の医師達「角屋養安日記」にみる庶民の医療(3)
戴天章の温病腹診研究
『?脹玉衝』所蔵治験例の分析
『灸?塩土伝』の意義
田代三喜が中国から持ち帰ったといわれる『大徳済陰方』の検討
暉峻義等と医史学研究―奨進医会にかかわっていた人―
足立文太郎のひとと業績について
明治8年から16年までに実施された内務省医術開業試験について
日本における医学部生化学(医化学)の歩み
日本の病院及びその機能の医学史的研究
農村医学の発展―佐久病院における臨床疫学的方法の実践―
国際保健への応用を勘案した日本の乳児死亡の医学史的研究
近代日本の医療分野人材開発の政策について(医師と産婆の役割)
『正骨範』から見た江戸時代の整骨方法
『解馬新書』の骨学用語について
男装の英国陸軍女医ジェイムズ・バリ
明治女医史の基礎的研究(3)婦人共立育児会病院
江戸以前全医学著作のインターネット検索
中国古代における一般的医学観について
清以前本草図の作風と学術価値
熊宗立伝―判明した生没年
誌上発表
『公文録』にみる土屋寛信の沖縄派遣
「中日両国疫病史対照年表」作成にあたって
パオロ・ザッキア「法医問答」にみる性別の判定
朝鮮前期の疫病流行に関して
朝鮮時代侵襲的外科術の発達
韓国における宣教医(第1報)
The 100th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory
投稿規定
編集後記
日本医史学会役員氏名・奥付