目次・表紙絵解説
プログラム
特別講演Ⅰ
日中医薬文化交流史 ―博多を窓口として
特別講演Ⅱ
九州大学医学部の誕生と関連医史学資料について
特別講演Ⅲ
福岡地方の2000年の医学の歴史
一般口演
中国伝統医学と道教(第18回)『水滸伝』から
『法華経』にみる医療
宋版傷寒論の三陰三陽編の成立について―異本との条文比較による検討―
『内経』「真」字考
北宋官刻医書の民間への流通
日本の精神病学における遺伝学的研究の歴史(その1)
川原汎とその著『内科彙講―神經係統篇』―刊行100年を記念して―
「田原結節の発見者 田原淳」補遺
日本における近代外科と麻酔 1―虫垂の解剖学的認識と虫垂炎の病理、早期虫切への過程
医史学教育の現状アンケートから
明治の軍医部出仕官について
明治37・8年戦役「熊本豫備病院外科治験記事」に就いて
日本外科学会の濫觴
順天堂院長 佐藤進のベルリンからの手紙
中川修亭の「麻薬考」の書誌学的研究
戦時下における医事雑誌の統合廃止
「看護」という言葉の使用のはじめ(第2報)-平野重誠『病家須知』と看護-
眼科医療器械発達史―屈折及び眼底検査器械から―
済生学舎の女子医学教育及びその周辺
明治女医史の基礎的研究(2)「女医論」について
初期の九大皮膚科と旭憲吉教授
開拓使および札幌県における医術開業免状について
明治初期における広島県立病院の役割と病院長たち
日本及び中国の脳解剖の先駆者―河口信任と王清任
上皮の概念の成立に果たしたヘンレとケリカーの役割
江戸時代の馬の内臓解剖図と解剖記述について
"新資料“美人解剖図"と“刑死者解体図""
『崎舘箋臆』について―清医・胡兆新の幕府医官との筆談について
宮内庁書陵部所蔵、中国第一の針灸証治図説『針灸捷径』
「樗雑集」における口腔部門の研究
『寿域神方』の瀉血療法
居延漢簡に見る疾病と傷寒の概念
敦煌文書O.613(露)とP.3287(仏)の合致
浅井貞庵と尾張の本草学
貝原益軒著大和本草記載のミイラの薬効について
養生訓(貝原益軒著)に示された医師になるために読むべき書について(併せて現代の漢方医学教育について)
江戸期本草家の北陸への関心(1)山本渓山の能登半島・立山採薬紀行
新発見の『啓迪集』古鈔本
田代三喜の新発見の医書『酬医頓得』の意義
小島宝素・海保漁村の天保13年の京都訪書行について
亀井南冥著『病因備考』について(特に後藤艮山著『病因考』との関連)
『解体新書』の原著者J・A・クルムスについて新史料
ベレッティーニ解剖図譜における自律神経系
福岡・原三信氏家蔵『阿蘭陀外科術式図譜絵巻』についての考察
「レメリン解剖図」と「原三信解剖図」について
赤城信一について(第2報)
江戸幕府御典医関東船橋氏の略史
『盲聾記』の記事から―戦国時代の医師の日記
幕末期の院内銀山「お抱え医」の実態-「門屋養安日記」にみる庶民の医療(1)
乗附氏家系と乗附流産科
モーゼス・マイモニデスの生涯
リヨンにおける医学小史(1)―クロード・ベルナール博物館―
ワードロップ「瀉血について」1835
アラブ医学で用いられている蒸露剤の他地域への伝播
フランス軍陣医学におけるヴァル・ドウ・グラース病院の役割
ウイリアム・ウィリスと写真師 島 霞谷
適塾の塾頭松下元芳(筑後久留米藩医)の紹介
緒方洪庵訳『扶氏経驗遺訓』での疑問
1900年以降の日本におけるプロテスタント・ミッションの医療伝道
緒方春朔『種痘必順辨』の書名について
お玉が池種痘所の設立に参加した上山藩医奥山玄仲
近代検黴制度の導入と英国「伝染病予防法」―外務省資料・英国国立公文書館資料を中心に―
生体実験による結核予防法の確立
明治18年(1885)における本邦の初期の細菌学培養について
The 98th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory
日本医史学会会則抄
投稿規定
編集後記
日本医史学会役員氏名・奥付