目次・表紙絵解説
プログラム
会長講演
日本における血液学・輸血学史の流れより
特別講演①
飛騨の庶民・農民の生活史から得られたもの―往還寺過去帳の研究
特別講演②
江馬家文書世界を生きた人々
特別講演②
尾張藩・名古屋を中心とした江戸時代の医療の流れ
一般口演
『扶氏診断』訳者への疑問―島村鼎甫の可能性―
石阪堅壮(肝吸虫発見者)の著述について
芸南の先人たち 特に『迨孫疫痢考』をめぐって
尾張・三河の種痘史 補遺
『元禄世間咄風聞集』所載の医薬学関連の咄
産科医兼子元隣とその著書『産科成解』(1)
古代における瀉血
江戸前中期の瀉血療法
魯迅医学筆記について
名古屋における太田正雄
富士川游と看護療法
藤浪鑑先生病症記・葬送記及び追悼文集について
三浦梅園における獣胎解剖の視座
永富独嘯庵(『漫遊雑記』1763年)にみる「狂」の用語について
精神科病医アルブレヒト・フォン・ローレツ
アルブレヒト・フォン・ローレツの研究(2)
長崎家収蔵の『折肱録』について
長崎浩斎筆『味噌欺録』と[淋石]
杉田玄白門人高峰幸庵について
向井元升と『紅毛流外科秘伝』について
藍屋佐兵衛の妻と勝股元碩の妻―青洲の乳癌患者について―
不破家華岡流手術図について
明治期ドイツ留学もしくは視察した眼科医達
サロモン氏産科鉗子
済生学舎廃校後の各種講習会及び私立東京医学校・私立日本医学校
『日本聖公会教役者名簿』記載の来日外国人医師について
宇良田唯子とその時代
池田文書と侍医制度
医学系の海外留学生(韓国1896-1945)
幕末から明治中期にかけての英米系医学の受容
第二次大戦後の医学教育変革について
暉峻義等の社会衛生学への傾斜
中国医学と道教(ⅩⅥ・西遊記)
雲夢睡虎地秦墓竹簡にみるらい病の診断と法律
『素問』・『霊枢』における非医籍からの引用
南化本『史記』幻雲附標に引かれる『存真環中図』について
蘇頌と『図経本草』
幻雲が引用した『東垣十書』
北尾春甫著『当壮庵医按』について
月舟寿桂から曲直瀬道三へ―『禅本草』をめぐって
[銭匕]は[銭上]の訛
徳川昭武公の[順天堂入院日誌]について(第1報)
本邦最初の血液学書入沢達吉纂訳『血液病理学及図譜』について
臨床検査という言葉の発祥と内容の史的推移―特に臨床検査技師の発展との関連について
医療関連資料(史料)の現状と問題点
名古屋市博物館所蔵の木骨について
[みる]ための画像と[みせる]ための画像
新幹線の発音は〔 ʃinkənsenk 〕か-学術語のカタカナ書きについて-
西紀町のアスクレピオス像
患者の心性および「よい患者」の歴史的考察
古代日本に於ける呪術医療の思想的基盤
「花園天皇宸記」に表われる花園天皇の口腔並に顔面の疾病について
葛原勾当日記にみる歯痛と気象
エナメル質微細構造の歴史
敗戦・陸軍少佐青酸自殺・救命処置・蘇生
軍医療発足のさいにみられた東校と兵部省の確執
陸軍軍医講習生仮規則
史料としてのオランダの「解剖学講義」の画
G・ビドロ-の楽譜
フランスのムラージュ(蝋製皮膚病模型)について
ジョン・ハンター再考
P・J・デソーとその処置デプリドマンについて
マルチェッロ・マルピーギの医学論
Moritz Heinrich Romberg ―そのプロフィールと「脊髄癆」・「半側顔面萎縮症」・「群発頭痛」の原著―
オキュペーショナル・セラピー(OT)の発展―米国と日本の比較―
東西医学交流史の一側面―脳研究者ハルトヴィヒ・ケーレンベック(1897-1984)の意識論の背景
The 96th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory
日本医史学会会則抄
投稿規定
編集後記
日本医史学会役員氏名・奥付