特別講演
130-132
内藤記念くすり博物館について
133-142
薬師信仰
143-151
濃州蘭学史
会長講演
152-153
わが国における結核症の変遷―近年を主として―
一般口演
154-156
いわゆるターヘル・アナトミアの脚注について(その2)
156
江戸、明治初期の鍼器具の解説と展示
157
半田地域にみる幕末の村方医師
158-160
筑前国藩医津田意安によって小児科を開業して300年、又福岡市立伝染病院(荒津病院)の発祥母体となった吉祥寺避病院が設立されて100年を迎えた福岡市
160-161
19世紀の新潟県における剖検事蹟
162-164
伊勢路の売薬―万金丹考
164-165
日本散瞳薬伝来史補考―ヒヨス Hyoscyamusについて
165-166
古書にみられる歯痛薬について
167
フランス医人の蔵書票
167-169
中国古代医学に於ける医療過誤
170
古代医学における帯下について
171-172
摩訶止観の医学
172-174
中国の諺を通じての医者像―社会風俗史的考察
172-174
日本における中国古代医聖の画像刻像について
177-179
長州藩医としての坪井信道・信友父子
179-180
本居宣長筆「和漢本草医薬典」について
180-182
大正期学校衛生史の研究(2)最初の学校看護婦 広瀬ます
183-185
埼玉県立医学校とその社会的貢献
185-186
我が国に於ける結核対策の史的観察
187-188
星野良悦の手記かと考えられる古文書―木骨製作の由来及び解体新書批判の記載
188-189
虞列伊氏解剖訓蒙図にみられる中枢神経系の記載
190-192
比較語学的方法による身体意識史検討の試み(4)身体と空間認識
192
大阪大学初代精神科教授和田豊種博士の蔵書について
193-194
明治初期静岡県医事に関する辞令
195-196
大庭政世の事蹟―島根県の産業組合医療事業の創設者
196-197
日本細菌学史の中の長与専齋
198
日本女医第2号―生沢久乃女史とその父
199-200
日本医学放射線技術教育史上の滝内政治郎
200-201
メデイカル・プロフェッショウ:コレジ・オブ・フイジシャンズ・オブ・ロンドンの例
202
神農本經が神農本草經か―『本草經集注』復元への一つの寄与―
203
江馬元恭著『五液診法』について
204-205
原松庵とその家系について
205-206
三重県下江馬家門人について(中間発表)
206-208
医学者としての建部清庵
209-211
江馬格物堂門人田口鳳介の所蔵医書について
211-212
「愛育茶譚」にみる東西の混淆
212-216
YPEY,ADOLPE(1747~1820)について―わが国でライデン学統医学はいつ頃まで受容されたか
217-219
『病を医するは自然である』、その『自然』について
219-221
同志社病院を中心とした医療・医育制度
222-223
戦前のわが国の看護婦
223
病院の歴史(イギリスの場合)
224-225
尿検査の歴史と臨床教育
226-228
明治時代の産業医局
228-229
金沢市立図書館所蔵の「産科六器」について
230
エーデル麻酔のイギリスへの伝搬に関する一考察―とくに最初の3日間について
原著
231-235
刺青の資料
299-283
A Historical Analysis of Cinese Formularies and Prescriptions:three examples
317-300
Empiricism and Speculation in Traditional East Asian Medicine
資料
236-271
佐賀県立病院好生舘所蔵書仮目録(幕末~明治初期)
記事
例会記録
272
アスクレピオス以前の古代医学
エンゲルベルト・ケンペルの署名簿について
オランダ国歌(テープ録音)
解体新書以前の長崎蘭学
奈良時代に来日したペルシャ人宣教医ペルシャ人宣教医「李密」について
シーボルト来日の頃の出島建築について
曲直瀬玄琳について
半井古仙法印療治日記
黄蘗僧了翁禅師と錦袋円
山脇東洋の肖像画について
熊谷謙齋『生々堂実験稿』から
大垣藩医江馬家に関する2、3の資料について
水戸学における医先哲(3)本間玄琢、玄有、玄調先生三代と稽医舘の医学教育
ハルマ原書(仏蘭・蘭仏)についての一考察
石坂空洞賛・佐藤正持画のヒポクラテス像について
岡山蘭学者伝補遺
緒方洪庵の除痘舘の所在地について
『医戒』漫録
近代医学の中の歯科学と抜歯鉗子への理解について
指紋法とF・ゴ―ルトン
野口英世博士生誕百年を記念して
第25回国際医学史学会(ケベック市)に出席して