目次
表紙絵解説
プログラム
会長講演
江戸時代,鉱物に関する諸問題―田村藍水,平賀源内,シーボルト,ビュルガー,ポンペの事績を中心に―
市民公開講演
佐倉と順天堂の人びと
一般演題
笠間藩医結解庸徳による全身麻酔下の上顎腫瘍摘出術
橋本宗吉(曇斎)の西洋医事集成宝鑑とエレキテルについて
家伝本「紅夷外科宗傳」(1706)ほか2部についての考察
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兵士が学んでいた包帯法に関する知識と技術-明治7年発行『三角繃帯用法』より-
明治初頭日本における医療技術の受容過程─順天堂大学所蔵の外科器具を中心に─
松本順の医学関連資料
佐藤泰然一族とヘボン
1私宅監置例の精神鑑定
京都の岩倉において精神障害者家族的看護を可能にした社会的条件
わが国における精神科ソーシャルワーカーの黎明(その1)
勝沼精蔵先生―日本神経学の開拓者
明治初期出版の小学生用に使用された人体構造に関する教科書について
長与専斎と二見海水浴場
内務省衛生局長・窪田静太郎にとっての「癩予防ニ関スル件」(抄)
高木兼寛の健康教育観に関する研究(第3報)―臨時教育会議での師範教育・実業教育改善に関する発言内容から―
「陸軍軍医学校防疫研究報告」II部─(その2)─研究に加担した医学者(嘱託)たち
産婆規則公布以降の産婆の管理─神奈川県を事例にして─
明治期における速成看護婦養成の状況―伝染病予防法公布の前後―
明治34年(1901)の医師・薬剤師調査と工藤鉄男編『日本東京医事通覧』
厚生省看護課設置にみる第二次世界大戦後の看護改革の評価
戦後沖縄の保健・医療行政 その2―初期軍政下の保健・医療システム―
語られない歴史─沖縄の保健婦駐在制に埋もれた助産婦の実践─
彦根市のマラリア対策─小林郁と小林弘の役割─
古記録の鍼灸─鎌倉時代・近衛家二代の日記より─
幕末の頃,利根川流域に広凡に販売されていた秘伝のめぐすり「家傳開明散」,「家傳青眼膏」
忘れ得ぬ植物・漢方薬の学者-佐藤潤平
岩国市芦山家に伝わる婦人臓図について
雷火鍼法について
『名家灸選』所収の隔物灸
江戸期の経穴学工具書について
『洪氏集験方』の鍼灸について
中国明代までの症状と脈状
『决脈精要』の考察
国立公文書館内閣文庫所蔵の脈書『紫虚崔真人脈訣秘旨』について
アンドレアス・ヴェサリウスとフィレンツェ公コジモ・ディ・メディチ
ニコラ・アンドリ(1658-1742)の「オルトペディ」について(その2)
16世紀前半の解剖学用語について―脱アラビアの試み―
John Hunter 「補遺」について
“ヒポクラテスの木”2007─コス島の“ヒポクラテスの木”の来歴と現状─
アトキンソン・モーリー病院の創設と発展
本邦初の頭部単純レントゲン撮影を行った済生学舎教師の丸茂文良医学士
田原の原著からみる知られざる業績
魯迅が受けた藤野厳九郎による解剖学史の講義について
済生学舎出身の旧制金沢医科大学学長須藤憲三に関する新事実
戦前の東京の精神科病院と精神科看護
フーフェランドの「医戒」から引用した校是「克己殉公」を実践した小此木信六郎
道教と中国伝統医学(第28回黄庭経)
『大同類聚方(寮本・延喜本)』に見える古代の医術
『十訓抄』の中の身体に関わる表現
荻生徂徠の死因
南宋五巻本『和剤局方』の再検討
龍谷大学蔵大谷文書5467号の『本草集注』
『宗板傷寒論』の系諸版の検討
『戴曼公唇舌図訣』の思想について
江島杉山神社の御神像について
医家肖像に関する考察
本居宣長記念館所蔵『挨穴会志』について
『医説』巻第二・鍼灸の典拠について
江戸前期の医学辞典における収録病證の変遷
The 109th General Meeting of the Japan Society of Medical History
記事
医史学関係文献目録(平成18年,2006年)
編集後記
日本医史学会役員氏名・奥付