目次・表紙絵解説
プログラム
特別講演(1)
京都帝国大学福岡医科大学から九州帝国医科大学への道のり
特別講演(2)
伝染病の歴史―疫病から感染症に
特別シンポジウム(Ⅰ)
特定領域研究「我が国の科学技術黎明期資料の体系化に関する調査・研究」(略称「江戸モノづくり」)についての報告
九州大学医学部所蔵キュンストレーキについて
橋本龍雲家伝の古医書類
岡田昌春文庫(1)書籍類
岡田昌春文庫(2)書簡類
室町~江戸時代初期の金瘡書、南蛮流膏薬書、『春林軒膏方便覧』に見られる軟膏の色
江戸時代の金瘡治療における「血」の概念の展開―紅毛流外科と気血水論
ホーデフリート・ハークと17世紀の日蘭交流における薬草学について
特別シンポジウム(Ⅱ)
福岡の蘭学(医学)
中津藩蘭学の系譜
遠隔と近接
一般口演
12世紀末ののクメール文化圏の施療院
佐藤剛蔵と近代朝鮮医学教育
魯迅のエッセイ『皇漢医学』について
朝鮮のハンセン病医療に従事した志賀潔
『看病用心抄』の著者について
『風土記』の中の身体に関わる表現
薛立斎の排膿に関する概念の考察
『日本精神科医療史』をかきあげて
第一次世界大戦における陸軍航空医学
第二次世界大戦以前における日本の精神医療の評判
「青洲先生療乳癌図記」について―華岡青洲と広瀬屋利兵衛の妻―
吉益東洞〈親試実験〉の背景としての金瘡―医史学的概観
泉屋家文書の外科資料蘭文断簡からわかった本木正栄の医書
『黄帝内経明堂類成』と『甲乙経』の比較
『素問』『霊枢』中の「滑」「?」について
傷寒学を研究する先駆―高若訥
江戸期の義眼史
順天堂大学眼科リハビリテーションクリニックの歴史的意義
江戸時代の温泉と梅毒
中国伝統医学と道教(第23回)五石散
『素問攷注』に引用される『解体発蒙』についての一考察
唐以前における妊娠の認識について
『脈経』における版本の比較―『脈経』版本字句異同調査報告
『名家灸選』所収の「試効」の灸法にみる施灸数
近世日本鍼灸史における『阿是要穴』の意義
『玉葉』の鍼灸
『鍼灸抜翠』について
『東医宝鑑』の研究―鍼灸篇について
明石為嗣著「x脚之治験」(明治22年)について
久保記念館と久保猪之吉先生の思い
貝原益軒(1630~1714)の紹介
貝原益軒の最後の著書『慎思録』について
明治時代に発行された碩田医報
中津藩医山辺文伯と産育編について
前野良沢(蘭化)の自画像とオランダ馬具について
緒方洪庵と添田玄春―西洋医学所頭取役宅の新築をめぐって
高野長英の『避疫要法』と看護
安中藩主板倉候の種痘事業
ガレノスとヴェサリウスの解剖学の比較研究(2)―第3・4対の脳神経を例にとって
コッホのまな弟子、リディア・ラビノウイッチ・ケンプナー教授
Thomas Willis の Cerebri Anatome について―脳神経系を中心に
ガイ病院の創設について
19世紀における血圧測定の歴史
京都・島根ジフテリア予防接種禍についての京都府記録とGHQ文書
GHQによる看護改革の流れ―GHQ看護課・課長 G.E.Alt に対する協調と対立の構図
なぜ日本では「ドナ」を志望する人が少ないのか
『日本杏林要覧』(明治42年刊)に掲載された九州八県下の医師・歯科医師人名
先覚的医界ジャーナリスト山谷徳治郎
ドイツ人外科医ペルテス(1869―1927)の小伝と北清事変中の業績
最古参学校医 船石保太
神奈川県権令・大江卓の養生布告
済生学舎出身の医師三木保長の生涯と東大整形外科教授三木威勇治について
愛知の結核医療史補遺
統計と医学的な事実―高木兼寛及び脚気論
日本における法定伝染病統計の分析1900-1960(1)
日本における法定伝染病統計の分析1900-1960(2)
日本における法定伝染病統計の分析1900-1960(3)
日本における法定伝染病統計の分析1900-1960(4)
The 104th General Meeting of the Japan Society of Medical HiStory
医史学関係文献目録
編集後記
日本医史学会役員氏名・奥付